空気のにおい

時々楽しい

神道に嫌気がさした話

神道を信仰している方はこの記事を読んで不快になる可能性があります。

ですから読むことはおすすめしません。

注意喚起はしたので責任は負えません。

 

 

 

 

神道というものは嘘つきの土着信仰である。

これが私の考えである。

 

まず、私は嘘つきが嫌いだ。何よりもすぐにバレるような知性のない嘘が嫌いだ。

神道信者(日本人の大半)は、アジア諸国にはヘコヘコと「やおよろずのかみなんです〜」と頭を下げるだけの一方、

一神教の信徒たちには「全部神様だから実質一つ!寛容だからあんたの宗教と違って争いも起きないの!」とふんぞり返っている。

二枚舌もいい所である。

…まあ、ぶっちゃけ神道天皇は偉いという以外は戒律はないようなもので、それどころか「説明書」すらないために皆自分の信仰すら把握していないのだろう。

その上儒教や仏教などとごっちゃになっているため、「先祖を大事にする」だとか「墓をたてる」だとか「因果」等が大陸からのDLCとしてあり、今はそれが習慣として抜け殻のように残っている。

もう滅茶苦茶すぎて私には手に負えない。正直に言うと気持ちが悪い。気分が悪い。

 

日本は古来より他国の文化の終着点のようになっていた。

当然、日本の文化がシルクロードを渡ったのではなく、シルクロードを経由した文化が日本に漂流したようなものである。

それ故に「信仰も文化も根っこは海からどぶさらい」といったことが起こりがちである。

元来日本人の多くが一から考えそのものを作るという能力に欠けているのは、あまりにも恵まれているためであると思うのだ。

だからこそ欺瞞や陰湿な虐待も思考停止の中で肯定され、正義というもの自体が存在しうることもない。

なあなあで生きて、なあなあで死ぬ。

そこには誇りも神に対する畏怖の念もなにもない。

そんな人達にとって、他宗教の祭りはただの経済活動でしかない。

それは己の宗教にすら及んでいる。

 

それらに対して私は幼い頃から違和感を覚えていた。

余談だが、私の出身の保育園はキリスト教系だったため、クリスマスの時期はページェントに忙しかったり、

当然大人からもその日は主イエスの降誕であることも教えられていた。

それだけではなく、近いところに大きな寺院もあり、親からそういう所へもよく連れられた。

そして祖母の要望によりカルト宗教に入信させられたりと、良くも悪くも宗教に縁の深い生活をしていたと思う。

 

なんでクリスマスの後に神社とか行ったり豆投げたりするんだろう?

ああ、この子達(同級生等)は神様を信じていないんだな…あんまり話したくないな。価値観合わなさそう…。

小学校時代には、こんなことを思っていたことを覚えている

そして、自分がいじめを受け教師からも虐待されている時すら、

この人達は死んだ時怖くないのかな?なんでそんな悪いことたくさんするんだろう?

人をいじめることを神様は許さないのに知らないのかな?

そんなことを思っていた。

 

こうして段々と己が成長していくとともに、宗教に対して自主選択をするため、

各宗教がどんなものかというのを調べ始めた。

 

そして、神道という土着信仰のヘボさ、情けなさに私は愕然とした。

こんなものが未だに日本を牛耳っているから、いつまで経っても善悪の判別や道徳が育たないのではないか!と思い始めた。

これらはただただ事象や物質を神格化して恐れているだけで、信者達は何もしていないくせに求めるだけ求めて、それで満足している。

それを品が良いだとか、平和だとか、美しいとかという自画自賛の嵐でなんとか固めようとしているのを私はまじまじと見てしまったのである。

 

ああ、もう、書いていてイライラしてくる。兎に角、あれらは痛々しいの一言に尽きる。

 

真剣に宗教に向き合っている人達には非難を浴びせるつもりはないが、それでも私は神道の行事の手伝いは絶対に拒否するし、賽銭もしない。

 

今日はこれでおしまい。